・・・・・第22話・・・・・
いまだに仲間を探していた男が
何気なく手にした紙。
書かれていた言葉は
「クリック一つで大金ゲット」
男はその紙を握りつぶした。
こぶしが白くなるほどの力で。。
改めて心に誓った。
もう終わりにしよう、こんなことは。
↓
↓
今日は、お昼ご飯をのんびり食べながら
メルマガ音声を聞いていたら
内容があまりにも驚愕だったので
一人でアワアワしていた阿部ベアです。
今日は出張校正でした。
わたしが小学1、2年のときに
通っていた場所です。
昨日、課長のHさんに
「ここ行ったことある?」
と聞かれたので
わたし「小学校の時通ってましたよ~」
Hさん「子どものころはこの辺だったの?」
わたし「小学校のころ、兄がいじめられてたんで
越境通学で行ってたんです」
Hさん「リアクションに困る~~」
こんな会話をしてました。
小学校の低学年とはいえ
2年間も通ってたんで
少しは記憶があるかと思いましたが。。。。
まるで知らない場所でした。。
駅がきれいになって
おそらく周囲も変わったんでしょうが
子どものころすぎて覚えていなかったです。。
なんかちょっと寂しい|ω・)
しかも、現場は小学校と逆方面だったんで
さらにわからないという。。
残念な結果でした。
さて、今日は
兄が昔いじめにあってた話でも
してみましょうかね。
いじめられたのは
母が原因だったんです。
経緯を説明しますと。。。
実は。。。
わたしと兄は帰国子女なんです。
ふふふ。。
二人とも現在
英語はまったくしゃべれません(;^_^A
父の仕事の都合で
兄は2歳から6歳
わたしは生後半年から3歳まで
アメリカだのドイツだのと
いろいろ行ってたそうです。
兄は記憶が残っているようですが
わたしは全然覚えてません!
昔の写真を見ながら
親が説明しているのを聞いているので
なんとなく覚えているような気がしているだけで
ホントの記憶は皆無です。
ニワトリだから???
そんなことはさておき。。
母は、わたしを生むために一時帰国し
ある程度わたしが育ってから
もう一度渡米しました。
そのころのパスポートを見せてもらったんですけど
(よく残ってたもんです。。)
ちっさすぎて一人で写真には写れなかったんで
母に抱っこされた写真でした。
子どもってかわいいっていいますが。。。
グズった後なのか、わたしは
メチャクチャ不細工でした。。
こんなところにも
残念な結果が。。。
あ、わたしが不細工だったのはいいとして。。
父の研修が終わって
日本に帰ってきたときに
引っ越したところは母の実家の近くでした。
なので、兄は母が卒業した小学校に
入学したんですよね。
そこまではよかった。
母も勝手知ったる小学校だったんで
何の心配もしてなかったようです。
問題は、転入後のことです。
母は日本に戻ってきてから
忙しさのあまり日本の小学校のことを
リサーチし忘れてたんです。
わたしたちが子どものころって
帰国子女はあまりメジャーじゃなかったんですね。
今でこそ帰国子女とかハーフの方とか
色んな人がいる公立の学校ですが
以前の帰国子女たちは
私立の学校に転入していることが多く
公立では遭遇する機会が少なかった。
なので両親は兄を
私立に転入させようとしてたんですけど。。
子どものころの兄は
優しくていい子だったんですが
いたずら好きで少しやんちゃな男の子だったそうです。
そのせいなのかどうかはわかりませんが。。
私立の小学校転入は失敗|ω・)
公立の小学校に通うことになりました。
母のリサーチ不足はここからです。
わたしたちが子どものころの服装って
半ズボンに子汚いスニーカーが当たり前だったんです。
しかも、ヒモがついてないやつね。。
でも。。。
母は間違えたんです。
息子がバカにされないようにと。。
子ども用のスラックスに革靴で
兄を登校させました。
子どもってのは正直です。
わかりやすく異端児を排除します。
兄は速攻で排除されたそうです。
そして極め付きが。。。
担任の先生。。
日本では先生に対して
○○さんじゃなくて
○○先生っていいますよね。
これが日本の常識です。
でも、この常識
異国の地では常識じゃなかった。
先生に対しても
Miss○○とか
Mr○○とかですよね。
○○Teacher
とは呼ばないですよね。。。
なのに、母は兄に日本の常識を
教えていなかったんです。。。
ちょっと発音がよくない日本語で
(信じらんないことに
英語のほうがうまかったらしい)
長ズボンに革靴という異質なカッコ。
これだけでも担任の先生だって
ひいてたと思います。
そこに輪をかけて
兄が先生と敬称をつけずに
さんづけで呼んでしまったために
悲劇が始まりました。
クラスメートからは
外人と呼ばれ相手にされず
担任に相談してもほっとかれる。
子どもだった兄は
相当混乱したと思います。
そんな状態だったのに
親には一言も話さずに
自分で何とかしようとしていたそうです。
まぁ、原因はわたしなんですけど(;^_^A
わたしがあまりにも手がかかる子どもだったんで
兄はいい出せなかったようなんですね。
ですが、子どもだから
ずっと隠し通せるわけがありません。
おかしいと思った親が学校に問い合わせたころには
友達を作れない兄が出来上がってました。
引越ししたばっかのころは
近所の友達とも遊んでたんですけど
だんだん遊ばなくなり
一人でプラモばっかり作っている
子どもになってました。
おそらく今ほどの陰湿ないじめではなかったでしょう。
でも、今まで楽しく学校生活を送ってたのに
日本に来たら誰も相手にしてくれなくなって
人間不信に陥ってしまったんでしょうね。
そこで、父が越境通学先を探してきて
すぐに転校させたそうです。
今は越境通学先って簡単に見つかるんですけど
以前は見つけるのが難しかったんですって。
まだ精神論がはびこってた時代でしたからねぇ。。
子どもにとっては一大事でも
いじめられたくらいで転校とは何事だ! てきなね。。
頑固なおっさんたちが多かったんです。
しまいには
「お前の教育が悪い!!」
とお母さん方に八つ当たるという
負のスパイラルがあったらしいですね。
こういうエピソードは
テレビでしか知らないんで
ホントかどうかは知りません!!
まぁ、そんなこんなで
兄は越境通学を始めました。
次の小学校ではとくにいじめられることもなく
平穏無事に過ごしたようです。
もちろん。。
わたしが入学するまでは。。。
わたしは幼稚園でもまっすぐ帰ってこない子だったんで
兄と一緒の小学校だったら安心だってことで
わたしも一緒に越境通学です。
ここでも母は失敗しました。。。
小学校1年生と4年生が
同じ時間に帰れるわけないんです。
ものすごく近い距離でもまっすぐ帰らないのに
電車なんかに乗ったらどうなるか。。。
よくまぁ、誘拐されなかったと思います(;^_^A
詳細は後日お話しますが
さわりだけお伝えすると。。。
地下鉄に乗ってたんで駅構内には
路上愛好者の方たちがいっぱいいました。
そこのおじさんたちと仲良くなったり。
駅の構内にあったダルマ屋さんのところで
ひたすらダルマを見ていたり。。
普段と違う帰り方をして迷子になったり。。。
もうすでに、ヤバい雰囲気が。。
聞いてみたいって方は
⇒ http://binamaabe.com/PDF/question.jpg
こちらをどうぞ。
これ、一回やってみたかったんですよね( *´艸`)
まぁ、だれも聞きたくなくてったって
話しちゃうと思いますが。。
その時は、どうかご容赦ください。。
というわけで~
今日はよかれと思ったことが裏目に出た
についてお話してみました。
長文&いつもの乱筆乱文ですみません。。
最後までお読みいただきありがとうございました。
この記事へのコメントはありません。