・・・・・第32話・・・・・
最強のパンダが周りを見渡し
低く唸った。
不穏な空気を感じた。
その動きをみた彼女は
我に返った。
ボーっとしてる場合じゃない。
やるべきことをやらなければ!
今までよりもさらに気合を入れて
彼女は動き出した。
自分が動かなきゃ始まらないと。
↓
↓
今日は、昨日誓った通り
忘れることなくガムを買ったけど
お昼休みに買いに行ったんで
午前中は睡魔と激闘を繰り広げていた
阿部ベアです。
(こんだけ買いました!!!
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サクラがいい感じですね。
どこかの大学の卒業式なのか
袴を着た団体が事務所の近くを
ウロウロしてました。
わたしは大学を中退してるんで
卒業式に参加してませんが
同級生たちにお花を持って行きました。
そういえば。。
ゼミのH先生に見つかって
お説教を食らったのを思い出します。
(親にも内緒で退学届出したんで(;^_^A)
H先生は糖尿病なのに
自分が好きなことをできないなら
生きてる意味がない!!
と好きなものばかり食べていました。
そのため、わたしがH先生のゼミに入ったころには
目がほとんど見えなくて、奥さまが
いつも付き添ってらっしゃいました。
わたしが1年生のころは見えてたんですよね、まだ。
すごい大きい虫眼鏡で
かなり大きな文字で書いてある名簿で
出欠確認してました。
わたしが行ってた大学は
出欠関係がすごく厳しくて
先生が出席簿で名前を読んで確認するか
出席カードを人数分配って
出欠を確認する徹底ぶり。
そんで、欠席が1/3以上になると
単位はもらえません。
通ってた大学の付属高校と
同じくらい厳しかったです。
そこの大学では
名簿が男子、女子と別れてなくて
ホントのあいうえお順で並んでたんですね。
わたしは、名字が「あ」から始まるので
2番目くらいに呼ばれます。
で、名前の読み方が
ちょっと難しめなので
H先生は
「あべ。。ん~~~
よしおくん!」
と張りきって呼んでました。。
その後のあだ名はしばらく
「よしお」
以前、お話しましたよね\(^o^)/
時間が結構経ってるんで
もっかいお話してみました。
そういえば。。
去年の今頃は
目黒川の近くにある会社に
派遣で働いてました。
その会社の近くのサクラがすごくって。
毎日、出勤しながら
花見をしてるような感じでした。
ですが、結構なビジネス街だったので
電車の混み方がハンパなく。。
今、毎日ブツブツいってますが
そんな比じゃなくて。。
乗る人も降りる人も必死。
ヘタに中に入ると
絶対に降りられないくらいです。
ある時、ちょっと中側に押し込まれて
必死で降りようとしてたんですね。
「降ります!!」
て怒鳴っても乗る人が押し寄せてくるんで
足元が見えなくて。。
それでも必死に降りようとして
外に出れた!
と思ったら。。
いきなり目の前のものがふっと消えました。
片足がホームと電車の間に
落ちちゃったんです!!
幸い、すぐに目の前にいたサラリーマンの方が
「押すな! 人が落ちた」
と怒鳴ってくださり、ほかの方が
引っ張りあげてくださったんで
軽く擦りむいただけで済みましたが。。。
気づかれなかったらと思うとゾッとします。
実は、子どものころにも
落ちたんですよね(;^_^A
兄がいじめられているのにプラスして
まっすぐ家に帰れないわたしを
(寄り道がハンパなかったため。。)
心配した親が兄と一緒に越境通学させてたって
以前お話しましたよね。
そのころのお話です。
今は、会社によって始業時間が色々ですが
昔は、ほとんどの会社が同じ時間に始業してました。
なので、混み方もハンパありません。
しかも、今より電車の本数が少ないうえに
通勤時間帯にランドセル背負ってる子どもは
あまりいなかったような気がします。
子どもがいるからつぶさないようにしようと
思ってくれる大人なんて
まったくといっていいほどいません。
むしろ、邪魔だとばかりに
押されていつも体が宙に浮いてました。。。
その頃から能天気だったわたしは
宙に浮いてる感じが楽しくて
足をブラブラさせて遊んだりしてましたが。。
事件は突然やってきます。
いつも通り、兄とともに通学していた時です。
その日は、いつもより人が多くて
降りたい駅でなかなか降りられませんでした。
あの頃は小学校1年だったかなぁ。。
2年だったかも。。
まぁ、そんくらいちっさかったので
「お~り~さ~せ~て~」
と叫びながら降りようとしてました。
大人にもみくちゃにされながら
降りようとしてたんで
下なんざ見えません。
目をつぶって必死で前の人を押してたら
急に重力がなくなりました。
気づいたら目の前は大人たちの
足、足、足、足、足だらけ。
あまりにもびっくりしすぎて
声も出せなく恐怖で固まってた時
サラリーマンの方が抱き上げてくれました。
ここからは、わたしにあまり記憶がなく
兄に教えてもらった内容なんですけど。。
大人に抱き上げられてるわたしを見て
兄はその方にとびかかっていったそうです。
「どこに連れてくんだ!!」
と怒鳴りながら。
兄もわたし同様ハートがチキンでできてますし
人見知りもハンパないです。
その彼がとびかかるっていうのは
相当だったんでしょうね。
兄の姿を見て
それまで固まっていたわたしは
ものすごい勢いで泣き出し
サラリーマンの方が困ってるところに
駅員さん登場。
多分、その方はワケを話して
駅員さんにわたしたちを引き渡したんだと思います。
ここからは覚えてるんですけど
わたしも兄もビービー泣いてて
かなり駅員さんたちを困らせてました。
わたしの服装は半ズボンだったんで
ヒザとか太ももが擦り剥けてて。。
駅員さんが治療してくれている間に
兄に家の電話番号を聞き出し
親に連絡してくださいました。
ビービー泣いてる子ども相手に
連絡先を聞き出すなんて
ホントに大変だったでしょうねぇ。。
親に連絡を取り、親から学校に連絡が行き
わたしと兄が落ち着くまで
駅長室にしばらくいさせてくださいました。
しかも、お菓子なんかくださったりして。
確か板チョコでした。
あれはおいしかったなぁ。。
食べてるうちに、わたしはご満悦になり
無事に登校したんですが。。
今考えると、かなり恐ろしいですよね。
もしもランドセルを背負ってなかったら
きっとわたしはホーム下に落ちてました。
ランドセルのおかげで助かったようなもんです。
電車通学してる子どもにとって
ランドセルって大事なんですね。
なんか気になったんで
ランドセルの歴史を調べてみました。
ところで、ランドセルの歴史って
いつからだと思います?
なんと!!!
江戸時代なんですって。
しかも、軍人さんが使ってたそうです。
背嚢(はいのう)って聞いたことありますか?
戦争関連の歴史小説なんかを読んでると
よく出てくるんですけど
布とかで作ったカバンのことなんですね。
戦時中の映画とかで
軍人さんが背負ってる
布のリュックみたいなやつです。
あれがランドセルの原型ですね。
で、この背嚢が明治時代から
子どもが通学のために使うものに
変化していったらしいです。
ランドセルの呼び方は
もちろん日本語じゃないです。
背嚢のことをオランダ語で
「ランセル」
というんですね。
その呼び方がなまって
「ランドセル」
になったんですって。
ホントに昔は高級品だったランドセルも
昭和30年からの高度経済成長期のころには
日本全土に広まることになります。
ちょいちょいランドセル不要論ってもんが
ちまたでヤイノヤイノいわれてますが
無茶をしがちな小学生には
ランドセルってとってもピッタリなんですって。
理由としては
・とにかく丈夫
中身を保護してくれる
乱暴に扱っても壊れない
意外に防水機能もしっかりしてる
・クッションになる
子どもはとにかくやんちゃだから
後ろに転倒したときに
頭を保護してくれる
交通事故にあった時
背中から落ちたら重症になるところを
軽傷で済んだ事例もある
・ベルトが工夫で満たされてる
子どもはまだ骨が発達途中なので
肩掛けカバンとかだと背骨がゆがむ
多少重たいものを入れても
ベルトが太く厚みがあるので
身体かかる負担が最小限
と、やんちゃな子どもには
ホントにいいものってわかりますよね。
てか、子どものために作られてるんですから
当たり前の話なんですが。。
わたしも、小学生のころは
ランドセルを投げまくってました。
校庭開放で遊ぶときに
邪魔になったランドセルを
その辺に投げ飛ばす。
疲れたら、ランドセルに座る
ランドセルを使って
円盤投げみたいなことをして遊ぶ
なんてことを散々してきましたが
小学校卒業するまで同じランドセルを
ずっと使い続けてました。
いやいやいやいや。。
丈夫です!!
最近の小学校って
両手が使えれば
ランドセルじゃなくてもいいよ~
なんていってるとこもあるみたいなんですけど
スタイリッシュなことは
大人になってからやりゃいい話です。
子どものうちは体のことを一番に考えてあげましょ。
な~~んていってるわたしには
子どもいませ~~ん。
あ、ルームシェアしてるって時点で
わかりますよね(;^_^A
無責任一直線ですみません。。
でも、昔のことを思い出したおかげで
小ネタを仕入れられました!
どっかで使おっと。
つ、使えるかな。。
というわけで~
今日はランドセルの歴史
についてお話してみました。
長文&いつもの乱筆乱文ですみません。。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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